ハナビ

log [ コラム ] — s_o @ 06. 3月, 2004

「先生あんな。」

日本でムカシ、家庭教師をしてた。

かけ算の4の段が大ッキラいな男の子だった。

その子はいっつも、なんやかやと話をみつけては
どうでもいい話をふってきた。

ドリルなんて、まっぴらだったのだ。

そしてそれは、近年まれに見る素敵なひとときだった。

 
「打ち上げ花火あるやろ。」
 
 
ん?
 
 
「あの、デッカイほうのやつやで。」
 
 
ああ今度、河川敷でやるよなぁ。
 
 
「あの打ち上げ花火、ぜんぶウンコやったらどうする?」
 
 
心の場外ホームランをかっ飛ばした彼のその台詞が、
今でも引き潮で打ちあげげられたクラゲみたく
ぺっちゃりと居座ってる。

30まえなのに、「うんこ」と聞くと
心ときめく。

ここからさき、一方的な文章を読むのが苦手な方は
控えてください。

現存人類何十億か分の1、やわで手垢のつきまくった物言いです。
ただ、この狭い了見の中以外で
このわやな判断保留の積み重ねの外側で
理想や現実をタカラかに謳うのを避けてみたいのでした。

芸術、にがてです。

いっぱい色んなヒトに反論されるけど。
そして自分も考え足りてないけど。
それでも声に出したいくらい。

どんなインスタレーションより
どんなヴィジュアルアートより
夕陽はあかく

どんなセオリーや思想やコンセプトや哲学より
自身のありきたりな死のほうが揺るがされる。

近所のおばちゃんのウッカリ暴走に掻き消される芸術。

模倣が模倣にもなれないものが完全であるのが。

不完全や過程を盾にするのも。

だので、どちらかといえば
うんこ支持です。

かけ算ヤだっていう真実と、
それが生み出した素晴らしいキセキに。

必然を越えて。
相手を思いやる優しさとは、ベツものです。

一本の線が美しく見えるか見えへんかなんて、
それが芸術とかどうとか関係あれへん。

子供が書いた絵、イノセンスでサイコウ!とか
なんのこっちゃようわからん。
ゆうてないか。そんなこと。

デザイナーをわらう芸術家、
芸術家をバカにするデザイナー、
サラリーマンを哀れむヒッピー、
ホームレスに同情するサラリーマン。

たかくうちあがれ。
うんこうんこ。

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