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log [ コラム ] — s_o @ 21. 10月, 2005

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イキも凍る朝、イキなのか煙草の煙なのかわからない曖昧な白を目で追った。
凡常と惰性に溢れた或る朝の1パートにて
バチちバチんゆう乾いた羽音と間の抜けた真摯さが交錯するので
頭上を見上げると たゆたってた煙ガ唐突に目にしみる。
ぶしゅ というわけのわからない言葉を口から漏らして目をつぶる。

揶揄なのか比喩なのかようわからん表現がある。

バカと煙は高いとこ ™

街灯を覆う円錐形の傘のてっぺんで、
ミツバチがひたすら頂上一点を目指していた。
ガツンガツンと自由を求める体当たりには、安堵と共に迎える終止なんてあるべくもなく。
疲れてちょっと高度がおちれば、たちまち眼前には360°選びようもない自由を得られることを彼は知らない。
いつかハネが破れ なにもかも終わるとき、
一体じぶんを遮っていた壁がなんだったのかわからなくなるような茫漠な大地で彼は永遠になる。
そっちには蜜ないゆうたやんけ。
いやゆうてないか。
なんも知らんのんは、キミだけちがうか。
慣用句を覚えるのと辞書を引くのが好きな、恐ろしくヤなガキだったので
(でも九九はいつまでも覚えられなくて、7×6と6×7は今もってあやしい。)
目から入る情報がいちいち先人のマーフィートリックにひっかかる。
個人やワがの感情、己というものはそのたびに霞がかって影になる。
ワラベウタが決して個人によって作られることがないように、
歴史はいつも、顔のない”集まり”ゆう怪物によって彩色される。
ときにはコントロールできない(と思い込む)ほどの個の熱情でさえ。
昨年の冬、ベルギー・スペインツアーの流れで韓国アーティスト二人がウチに遊びに来ていたとき、
韓国のことわざと日本のそれを照らし合わせて、そのほとんどが被っていることに徹夜ではしゃいだ。
見覚えのない、耳なじみのないのんに至っても、
あー、ていう慣用句独特の毒にも薬にもならん感はおんなじ。
トラは皮を残す ヒトは名を残す
名前のない顔がつむぐのは、
時間のふりをした孤独と、脆弱でだだっぴろい思い。
大学のときドイツ文学を専攻していた。
ヒトにいうのが、毎度恥ずかしい。(でも話題ない。ドイツ人なんかと。)
道に迷った老婆に然るべき引導も渡せず、倒錯した言葉の羅列で路頭に迷わせるのは既にお家芸。
トマスマンの原文、最初の1行の3つめの言葉を辞書でひいたとき、8個くらいあちこちを向いた意味があって
ジャガイモとビールとカントリーとお城とお姫様的女の子で歳をとってない自分は、2秒であきらめた。
10も歳の違うこちらで育った女の子と、カフカの話をしていたとき
教科書で読んだことあるんだけど、と彼女は言った。
『ご飯食べるとき、”いただきます”って言うでしょ。あれドイツにはない。そういうとこ。』

言葉には目もくれずミツバチは、鉄でできた幸福な死を蔑んでいるのかもしれない。
ほんとうに大事なのは勝ち負けじゃないんだよ、とかいうのが苦手なのかもしれない。
ちょっと。
おれも、高いとこ超すきー。
(吊り橋の真ん中で足ガクガクさして両側の手すりをむんずとワシづかみ、うわずる声で)

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