
昨晩、レコーディングで弾いた渾身のベースラインのせいで
指紋がなくなった左手の中指と薬指がヒリヒリする。
刺繍用の指サックしとるみたい。
集中せんと全てがうまくいかないので
REC終わると、末端神経まで乳酸まみれになったカラダと、どっか的外れなトコに行ったままのココロが
うまくキャッチボールしない。本来あるべきとこで機能しない。
ニンゲンとしてどこかに重大な問題があるような気がする。
電話でピザとサラダを頼むと、間違えてサラダを2つオーダーしてた。
ドレッシングを2回聞かれたとき、なんにも疑問を感じなかった。
失恋したベジタリアンのように涙まじりで山盛りサラダを2つ食う。
鬼のようにスムーズなお通じが期待できそうです。
0点か100点でありたい。
平均や凡庸を非難するあれではなく。
愛想つかされ、それでも口ひらく個でありたいと願う。
おっまえ卑怯やなー、とか、裏切ったな貴様! とか、
そうやって名前をつけられる在り方に
気持ちの籠っていない、ホントの優しさみたいなのを感じる。
だからそこが問題やっちゅうねん。
リスク管理がうまくできない。
もう切れてしまっている綱を、今更ヒヤヒヤ慎重に渡ってるような気もする。
ただなんとなく、『うまいことやったろ』と思えない。
鼻毛とかアンダーヘアーで綱を編んで蔑まれるのも、やぶさかでない。
王様とホームレスが夢見るのは、あらゆる意味で同じ景色だと思う。
今日行ったレンガ造りの煙草屋のおばちゃんは、
隣のおばあちゃんが持ってきた上着の肩パットの部分を直してあげられなかった。
ところで、ここは煙草屋なのだった。
もっそ待たされた。
切り取られた肩パットの白は、揶揄ではなく永遠だった。
最後おばあちゃんは、待たせたこちらに挨拶もなく、かといってさして落胆もせず帰って行った。
煙草屋のおばちゃんは言った。
『でもね。』
待たされたせいで、バスはもう行ってもた。
『上着は、本当は自分でなおせなきゃいけないのよ。』
一日の中に、まるで四季があるかのような不安定な空。
初夏の匂いは、まるで樟脳にまみれたのに結局虫に食われて穴あいてもた上着みたいに
寂寞とした滑稽さを孕んで、おまえはなんや生きとんねやっドあほがっ!ゆうて勝手に告げる。
告げられて、ごまかし笑いで困惑。

レクリエーション、という言葉の意味を知りませんでした。
小学校のとき。
N君というあんまり目立たないけど別にいじめられてもいないモノ静かな子がいて、
クラスのお楽しみ会で、彼は一人その『レクリエーション』の受け持ちになりました。
学級委員長がワラ半紙から黒板にうつしとった文字のなかで その字面は唯一アカ抜けた感じがしたのですが、
意味分からないって言うのが恥ずかしいので誰も触らなかったのです。
王様が裸だって言ったのはコドモらしいですが、そんなのウソです。
コドモはもっと知ってます。
まちがっても狙って社会を砕き真実を語って嘘つきに負けに行くほど愚かではありません。
社会性の欠如を咎められるくせに、イノセンスを崇められる不条理への報復の仕方くらい本能的に心得ています。
くだらないオチにつかわれるのは、大人より腕力が弱いからです。
僕は今も昔も日和見星人なので、クラスの人気者やマドンナのいる『劇』に参入して、
出番が3秒くらいしかない『校長先生』という意味不明な役をやりました。
台詞は『やめなさいよ君たち。』でした。
3回も練習したのに、かみました。
さてN君の『レクリエーション』の時間がやってきたのです。
クラスの皆が体育座りで円になるなか、
細長くて真っ赤なラジカセを持ったN君が教室にはいってきました。
N君は、前フリも愛想もなく、ラジカセのテープを再生します。
そこから流れてきたのは、どこで入手したか昭和初期のラジオ番組。
当時流行したシャンソンを紹介する古びたプログラムだったのです。
MCがやけにじっとりした声のおじさんのボソボソと喋る声が、テンション低くて圧倒的に不気味でした。
N君は、聴こえにくいのにボリュームをあげず、ソコに猫のようにうずくまって
耳をぴったりラジカセのスピーカーにあてました。
しばらく皆は不安と、えも言われぬ いたたまれない感情を持て余しながら
固唾を飲んでその様子を見守っていました。
かすかに聴こえる、古い歌声とN君の息づかい。
そのとき、N君は言ったのです。
『、、、これこれ。このおばさん、声たかいんや。』
皆の緊張はほぐれるどころか、
クリティカルヒットを食らっていきなり死にかけた旅人のように
明日の見えない状態になりました。
隣に座っていた私の初恋の女子、Kちゃんにいたっては先生に
『先生、ねえこれが、れくりえいしょん? れくりえいしょんってこういうの?』と不安そうに聞いていました。
先生はものすごい曖昧な返答をしていました。
N君はそんなクラスの皆の静かなどよめきと冷や汗と苦笑い、居直りや居眠りをものともせず
5分ごとくらいにぽつり、ぽつりと独り言のような突っ込みをラジオに入れて
30分の持ち時間を完璧に全うしました。
一瞬にして『お楽しみ会』の言葉の意味さえ見失ってしまったその教室で、
N君はニコリともせずに一礼して、ラジカセを持って退場しました。
気まずいからできればもう帰ってこないでほしい、
担任の先生ですらそんな風に考えてるような気がしてなりませんでした。
あんなに感情のこもっていない投げやりな拍手は、あれから一度だって耳にしていません。
僕は、今でもレクリエイションの意味がよくわかりません。
わかりたくない気持ちが、少なからず成長や『”本当”を知ること』を邪魔してるかもしれません。
N君の陰気くさいレクリエーションが どこかへ追いやられてしまうことに
感傷的な気持ちになってるだけなのかもしれません。
僕は正直、N君のことが好きでも嫌いでもありませんでした。
ただ、時々振り切ったようにテンション上がって、どこぞのエロ親父みたいな下品な笑い方をするN君は、大好きだった。
記憶というのは自分が自分である事の証明にもならないどころか、
それが本当に必要か必要でないかさえ、自分以外 が決めるのです。
けっして忘れたくない思い出なんて、
ホントはけっこう一瞬で忘れてるのかもしれません。
『忘れられない』気になってるのは、
『忘れたくない気持ち』がなし得る、孤独で強靭なただの”ふり”なのかもしれないです。

クラシックのパーカッショニスト、ドイツ人2人から音楽の依頼。
とりあえず制作期間が短すぎるし、アルバム制作がたてこんでるので
今月末、状況みて再度打ち合わすことに。
もらったCD。
『おれらでも一回聴いたらもう聴かない。てか半分くらいでいい。』と自称するだけあって
その圧倒的なストイックさに口が開く。
フェイバリットパーカッションとかある?て尋ねると
2人ともちょっと考えてから、”シンバル”(2つ持ってバシャーン!てやるあれ)て言った。
ストレス?なに?
デシベル(音の大きさ)でいうと、飛行機の離陸時の轟音と同じくらい(!)だという。
絶対前で演奏したくない。
荒井注のオチかよ。
たとえば曲中一回しか叩かないゴング、
一回しか叩かないゴングの為に彼らは鬼のように練習する。
そこには、『素晴らしいタイミング』とか『目をむくような激しさ』ゆうのが存在する。
そもそも音自体に、感情なんてない。
感情を込めて演奏することはできるけれど、
音そのものが感情を持っているわけじゃない。
悲しい音・楽しい音なんじゃない。
そう感じるとしたらそれは、
今それを聴いてる人間が耳から入った音波をオノレの脳みそで再構築した新しい物語だ。
演奏者のヨダレでそうな恍惚とした表情を黒い布で覆えば、
残酷で圧倒的な振動だけが残る。
ただそこには鼓膜と、記憶と、感じる心がある。
アナライザーはその緑のラインを鼓動のように震わせるけど
それはけっして生命ではなく、ホモサピエンスよりずっと前からそこにあって、
ニンゲンは左右の耳からはいってくるそれに永遠の?マークをかざしながら
地上からいなくなるまでワタワタしたりニヤニヤしたりする。
ヒトリズモウチック。
ちっ。
美しー人に、無響室での喘ぎ声に色気があるか尋ねられる。
無響室でセックスしたことないのでわからないけど
ただでさえこの世で最も孤独なコミュニケーションたるセックス
『空気が勝手にうたうウソ』さえない世界でやってしまったら
死にたくなるんじゃなかろうか、思った。
絶対したくない。無響室でセックス。
するなら、トンネルとかがいい。
現場のおっさんプチぎれ。
誰もいなくなった星のうえで風が大地を舐める音。
それは ビュぅー でも ゴゥォー でも、ないのだと思う。
そこにはもう耳がない。
感じる個も、”真実”にあらがう嘘もない。
ワタワタ継続。

『あ まずい 終わる』
日本のトモダチと話をしているとき
北朝鮮がミサイルを撃った。
そのときトモダチは 感情も感慨もなく、そう呟いた。
忘れながら生きる。
すべての可能性と事象に背を向けて、ヒトは呼気と吸気を揃える。
スイッチを押せるニンゲンに生かされている。
考え事をする前に、「感じた個」とかでなく「知らん人のテンション」でやっとここにいられる。
空は高すぎて、上空に飛び交うものも、さらにその上にあるものも見えないし
かといって床でおこぼれを待つ犬が見ているものが本当に自分が持つこのパンなのかどうかもわからない。
日が当たらない地下のアトリエに置かれたチューリップは3日で枯れ、
今日も空はまぶしいくらい晴れた。

デブの少年がやってるバゲット屋によく行く。
(バゲットにトマトとかチーズとか肉とかいれて焼いたやつ売ってる)
デブがやってる食べ物屋って、無条件に信頼してしまう。
太ってることって、食への愛の揺るがぬ証拠に見える。
太っちょが作った料理で、顔がまがるくらい不味いのや満足できない不親切なアマウントに出くわしたことない。
イタリア系のデブ少年は、ノキ下でゲームボーイに執心。
こちらが挨拶すると、無表情にレジに入り 黙って注文を待つ。
店長であるはずの父親は大体おらんのでここはもう少年の店だ。
親父は隣のトルコ人カフェでトランプしてる。働けよおまえ。
少年は注文を聞くと、手慣れた手つきでパンをオーブンに放り投げる。
トマトを切って、チーズをほぐし、いっぱいひっついた鶏肉のパテをパックから丁寧に3枚取り出す。
無駄がない。
あどけない顔には表情もない。
この無愛想少年(しかもデブ) いい。
ヒトに愛されるニンゲンゆうのは、いつだって大抵その理由が見あたらない。
煙草を吸いながら、少年がオーブンについたタイマーと焼き具合を眺めるのを見ている。
、、いや、いつもこげてるぞ。そのタイマー、設定おかしい。
:::
金髪のグラマーな女が、その存在を不動のものにする強烈なフレグランスの渦と共に入ってくる。
少年の顔つきが変わる。
少年は、あからさまに動きの機敏さを増す。
しかも、なんかちょっと微笑んだ!
おい!おまえ!笑えるのか!
『サラダ、いれる?(いれたくない嫌いな野菜とか)注文ある?』
お、おまえいっつもそんなこと聞かずに全部いれるだろ!
日常は、揺るがない。
この視界のソトガワで起こりうるナニモノをも凌駕する、圧倒的なフツウの日々。
うんうん、いいぞ少年。童貞はいつでも非童貞になれるけど、非童貞は二度と童貞になれないんだぞ。
先達ぶって偉そうにニヤニヤしてると、めっさ熱いバゲットをジカに手のひらに置かれて、『あづっ』なる。
床に転がるバゲット。
金髪ギャル、笑う。
もちろん少年はこっちを見ていない。
なんかちょっと赤くなってる。
てめえ。
隣のトルコカフェから、少年の父親によるラテン特有のテンション高い笑い声が響く。
どうやらトランプでバカ勝ちしてるらしい。
地球が滅亡するアカツキには是非、このバゲット屋のバゲット食べたい。
ここには説明の必要な本当や、ウソがない。
ような気がする。
気のせいか。

最近毎朝、電車でGrevenBroichというトナリ町に行ってます。
窓のソト、ねぼけた意識の表層あたりで勝手に流れてく風景。
白い花いっぱいつけた武骨で中途半端な木がいちいち気になる。
工場の脇 平野のスミ ライン川のほとりに、消し忘れた重要なシルシみたいに咲く。
見てくれよこれをよ。とか、ここにおらなあかんねや。な感じがあんまりないくせに、
やけにそこにおる。
眠りたいのに目を奪われ、どだい迷惑。
花の名前をスラスラ言えるニンゲンを、素敵!とか思ったことないけど、
でもそのときトナリで『あれは、○○。』とか呟かれたら
それが独り言であっても、3秒でこの世で最も尊敬するヒトとかになりそう。
コンパートメントの斜め向かいに、二人分の席を一つの尻でカバーする樽みたいなおばちゃんが座ってたけど
彼女でも問題なく大事なヒトになる。
あの白い花の木の名前を知ってるニンゲンなんて
今まで出会ったなかにタるほどいたのかもしれない。
なんにも知らないまま、通り過ぎたり忘れたり。
個の在り様とか、誰かや何かとの関係とか、
きっと残酷とよぶにたえないようなあっさりした暴力の固まりで、
永劫 語られる事のない闇が無言でニヤニヤしつづヶるんやろう。
覗き穴の向こうから無傷のまま。
でてこいクラっ(覚醒の兆しない寝ぼけ、つづく)